「リウマチ治療の記録(途中経過報告)」志村みさ江 42歳
神奈川県
2002年8月4日
T 一回目の発症(寛解までとその後)(寛解とは、根本的には治っていないが、薬で症状が軽減している状態を言います。)
私の場合、リウマチの症状が出たのは今回で2回目なので、最初にリウマチになったときのことから思い起こし記す。
1989年12月(30歳)長男出産
1990年11月(31歳)この頃より両足指の付け根(歩くとき蹴り返す関節)が痛み始める。(この人も例に漏れず、やはり出産を契機にしてリウマチが出ました。言うまでもなく、母親にとって異物である子供の遺残物を排除するために、生じたのでしょう。)
1991年10月(32歳)、足の痛みに加え、両手指、両肩も突如として痛み出す。酷いときは両肩が布団に触れるだけでも痛く、寝るのにさえ苦慮する。衣服の着脱等日常の殆どの動作に支障を来す。
近所の総合病院の整形外科にかかり、レントゲンを撮ったり、血液検査をするが、レントゲン所見は異常なし。病名も原因も分からず、痛み止めの薬を処方してもらう。(薬品名は不明)(リウマチの初期には、絶対にレントゲンには異常は出ません。さらに血液検査でも、ほとんどリウマチの陽性所見は出ないものです。こんな時に、病気を何と考えるかが医者の診断能力が試される時です。つまりリウマチでなければ、他に何の病気を考えるかという問題です。こんな時に思いつく病気は、他にほとんどありません。現在、リウマチは100万人近いといわれています。100人に一人の罹患率です。このように考えると、リウマチが特別珍しい病気でない事がお分かりでしょう。)
12月、県内の某医科大学付属病院の難病専門の内科にかかる。血液検査では、リウマチの反応は陰性だが、リウマチ患者の2割は陰性なので、リウマチと判断できると診断される。
1992年1月、痛み止めの薬の投薬と同時に金製剤(シオゾール)の注射を受け始める。3月はじめには、痛みも強ばりも消えて、ほぼ罹患前の状態になった。(1月〜3月いっぱい仕事を休んだ)
シオゾールの注射は6月頃まで2週に1回の割で打ったと思う(記憶が定かでない)。シオゾールの副作用で5月頃より顔中が痒く、特に目の周りが赤く腫れて酷い状態になった。
医者には「寛解」と告げられる。この頃は薬の危険性に対する意識がなく、このとき処方された薬品名が何だったのか、シオゾールの注射を何回打ったのか等の記憶が全くない。とにかく痛みがなくなりさえすればいいという意識しかなかった。(シオゾールというのは、金《ゴールド》の筋肉注射です。金は本来,、金庫にしまったりこっそり隠しておけば財産価値があるでしょうが、体に入れても体は金の価値は残念ながらわかってくれません。ただ人間の免役にとっては、すぐに異物と認識され、何よりも早く排除しようとするだけです。もともとリウマチは、それまでにすでに大量の異物が関節に溜まっているのを認識し、それをアレルゲンと認め、排除するために起こっている病気にもかかわらず、さらに強力な異物である金を注射するとは、正気の沙汰ではありません。このために副作用で腎不全を起こし、死んだ人もいます。当然なことです。ただ金は、関節に溜まらずに免役によって他の異物よりも遙かに強いすぐに処理されなければならない物と認め、あらゆる免役の兵士たちを動員してやっつけようとするために、他の本来の関節に溜まったリウマチのアレルゲンが無視されてしまうので、関節での炎症が止まり、見かけの痛みは楽になるのです。つまり一種の陽動作戦と言えます。しかも問題は、わざわざ大量に注入した金がどのように処理されるかであります。言うまでもなく、金療法も根本治療ではないわけですから、この治療法も間違っています。一言でいうと金療法は、痛いところがあればその痛みを楽にするために、さらに強い痛みを別の所に加えて安心しているようなものです。)
1993年〜2001年3月
この時期は、リウマチの症状は全く出ず、関節の痛みの感覚さえ全く忘れていた。ただ、体は不調のことが多く、風邪をひきやすく、一旦ひくと長引き、特に咳がなかなか治らず、酷い年は一年中咳をしていたような気がする。また、咳とともに高熱を出すことも多く(出産前は38度台の熱を出すことなど殆どなかった)、素人なりに自分の免疫機能が異常を来しているのではないかと感じていた。(体内に投入された不必要な金は、いつまでも体内に貯留しているので、常に不必要に免役が金に対して刺激されているので、体調が不調である上に、風邪のウィルスが入っても、いわば余力が無くなかなか治り難かった可能性があります。もちろん、金そのものが体に対して何らかの悪影響を及ぼしていたかもしれません。ちなみに、お祝いの清酒に金箔が入れられ、思わず一緒に飲み込んでしまっても、腸管で吸収されることは無いので、心配はご無用です。)
U 二回目の発症(今回)
2001年3月末(41歳)、12年ぶりに二人目の子を妊娠する。
妊娠4ヶ月の終わり頃、突然左肩が痛み出す。その後すぐ右肩、両肘、両手首、両膝、足首等が徐々に痛み出す。すぐ近くの整形外科を受診。妊娠でカルシウムが足りなくなってあちこちの関節が痛んだのであって、まさかリウマチに再びかかったとは思わなかった。なぜならどの家庭用医学書を見ても、「妊娠中はリウマチの症状は軽くなる」と書いてあったからだ。整形外科の医師も医学書と同じことを言っていた。
最初にかかった整形外科で、レントゲン、血液検査。レントゲン所見は異常なかった。血液検査では「炎症反応あり」と言われたが、はっきりリウマチとは言われなかった。この医師は妊娠中なので内服薬は出せないから、ということで塗り薬を処方してくれた(薬品名は「ヒルドイド」だったと思う)。
5月初旬痛みは益々酷くなる。特に手首と両肩。手首の痛みは車の運転をするのに致命的で、右左折でハンドルを切るときはもとより、ただハンドルを握るだけでもかなり辛かった。また、肩が一番痛いときは自発痛があり、脈が打つのに合わせてズキッズキッと痛むのにはかなり参った。泣きたくなくても涙が出てきた。痛みで眠れない辛さを10年ぶりに味わった。
最初に貰った塗り薬は全く効かなかったので、病院を変えることにした。2軒目も整形外科である。痛みが酷い旨を訴えると、ボルタレンという痛み止めを処方してくれた。このボルタレンは、現在もっともよく効く痛み止めだと言われたが、あまり効かなかった。
7月末、「リウマチの心配があるなら、専門の先生に診て貰った方がいいのでは?」という家族の意見もあり、横浜市内の某総合病院のリウマチ科を受診する。
血液検査、問診。血液検査の結果、血沈もCRPも正常値を超えているし、10年前と違いリウマチの因子が陽性と出てしまった。医師曰く「リウマチでしょう。ただ、出産と同時に症状が消えてしまうこともあるかもしれない」とのこと。痛みの辛さを訴えると、「妊娠中でも影響のない量のステロイドを出しましょう。」ということで、初回から「プレドニゾロン」を1日5r処方される。ステロイドと聞いて、さすがに副作用が心配だったので質問すると、「例外なく骨粗鬆症になる。」との回答。「ただ1日5rの場合、かなり長期間にわたり服用しない限りは、そんなに心配はないだろう。」とのことだった。
この日より処方通り、副腎皮質ホルモン剤「プレドニゾロン」を服用し始める。痛みが完全になくなるということは全くなかったが、5月に経験したような夜も眠れぬような痛みは来なくなった。胃薬も処方される。
8月、 次男出産。
痛みの消失を期待したが、残念ながら出産前より痛みは酷くなった。
9月初め プレドニゾロンが1日7rに増える(母乳をやっていたが影響はないとのこと
だった)。
9月末 痛みが収まるどころか更に強くなってきた。はじめは次男に母乳をやるつもりで、生後6ヶ月までは痛みを我慢しようと思ったのだが、授乳のための抱き上げ、オムツ替え等日々の育児に支障を来すほどの痛みを感じるようになってきたので、母乳を断念し、抗リウマチ剤を始めることにした。
薬品名は「リウマトレックス(免疫抑制剤)」。初めは6r/週から服用する。この薬は今のところ一番効く薬だそうだ。かなり強い薬らしく、この薬のカプセルの台紙の裏側には、「男女とも妊娠を避けるように」との注意書きがあった。怖いと思ったが、痛みが軽減する可能性があるのならばと、服用を開始した。はっきりこの薬の副作用かどうか不明だが、脱毛が非常に多くなった。洗髪の度に、風呂場の排水口が詰まってしまうぐらいの抜け毛であった。
11月末 「リウマトレックス」は普通服用を始めてから2ヶ月で症状の改善を見るのだそうだが、私の症状は、改善どころか少しずつ悪化しているような気がしていた。そこでこの時から「リウマトレックス」が8rに増量された。
この頃は両肩、両手首、両手中指、両膝の痛みが激しかった。朝が特に辛く、朝一番の授乳がまず難行苦行だった。湯を沸かす、そのやかんが重くて痛い。哺乳瓶の乳首をつけるのも痛い。おまけに日々重くなる次男を抱き上げるのに、悲鳴を上げてしまうような痛さだ。
V 神奈川県から松本医院へ(ステロイドゼロヘ)
2002年2月末 11月末から数ヶ月症状は上記の通り変わらず続いた。リウマトレックスは飲み始めて既に5ヶ月にもなった。
痛みも収まらず、腫れもひかず、両手中指はときに曲がったまま、伸びなくなるときさえあるのに、このままステロイドも免疫抑制剤も飲み続けてていいのかなという疑問が、頭をもたげてきた。両手中指は軽くではあるが変形しつつあるし、ステロイドも7ヶ月飲み続けている。これではリウマチによる変形を待たずに、骨粗鬆症で全身の骨がボロボロになってしまうのではないか?そんなことを考えると気分は落ち込む一方だった。
この段階で服用していた(処方されていた)薬は、
@プレドニゾロン(ステロイド) 7r/日
Aオステラック(抗炎症・沈痛剤)
1錠/日
Bプロテカジン(胃薬)
1錠/日
Cリウマトレックス(抗リウマチ薬・免疫抑制剤)
8r/週
Dファルネゾンゲル(塗り薬・経皮吸収型ステロイド薬)
殆ど使用せず
以上。
年末頃より、既に足がかなり辛い状態だったので、必要最低限の用事以外は外出せず、赤ん坊が寝てる間は、専らインターネットに慰めを見出していた。特に、リウマチの方のHPにはしょっちゅうアクセスしていた。その中のあるHPの掲示板に「リウマチを治す松本医院というのがある。」という書き込みがあり、早速検索エンジンで「松本医院」を探しアクセスした。
HPには、すごい分量の文章が掲載されていたが、はっきり言って面白かった。松本院長の理論には(リウマチの人は「アトピー」のページも読めと書かれていたので、両方プリントアウトしてじっくり読んだ。)、胸のつかえが降りていくような感じさえ受けた。「すごい!この先生の書いてることは正しいかもしれない!」そう直感した。 また、完治した患者さんの書かれた手記にも、何とも言えない迫力を感じた。
このHPにアクセスしたのが2月26日。高槻というのはちょっと遠距離過ぎると感じたが、この先生に賭けてみようと思い、すぐ夫と姑に話し、また赤ん坊を預かって貰うので、実家の両親にも話しをした。皆、「自分でそう思うならやってみれば。」という感じだったので、早速大阪行きに向けて夜行バスの手配をした(夜行バスは肉体的に辛いが、京都横浜往復1万5千円弱と一番安かった)。
3月8日、京都に6時半に着いてしまったので少し暇つぶしをして、9時に高槻の松本医院を訪れた。本当に町医者という感じの外観で、看護師さんか事務の方か何人もの若い女性がきびきびと掃除をしていて、私の姿を認めるとにこやかに挨拶してくれたのが、すごく清々しかった。多くの方の手記にある通り、待合室の中には、漢方薬独特の甘い匂いがした。
診察開始は9時半なので、それまで問診票を記入したり、看護師さんから、アレルギー治癒の理論を易しく話していただいた。大変丁寧なレクチャーの後、「ステロイドの飲み始めからの総量を、概算でいいから出すように。」言われ、計算すると「1500r弱」だった。
そうこうするうちに診察時間になり、大きな声で名前を呼ばれ、診察室に入った。松本先生は、関西弁を大きな声でものすごい早口で機関銃のような口調で話す方だった。耳が関西弁に馴染んでない当方は、別に悪いことを言ったわけでもしたわけでないのに、怒られているような感じを受けて、萎縮してしまった。忙しい身だから仕方ないのだろうが、こっちは病気を抱え、遠路はるばる一人で心細く、すがるような思いで来ているのだから、もうちょっと穏やかにお話ししてくださるとありがたいのにと感じた。その後も、私の何が気に障ったのか(私は前述のようにHPを何度も読んで納得して来ているのに)、やたらと「帰ればいいんです。」と仰る。おまけにゆっくり問診する間もなく、ひっきりなしに患者さんから
相談の電話が入り、その度に話が何度中断したかしれない。
先生にはリウマチの経過やら、処方されている薬をお話しし、指示を頂く。私の場合、内服しているステロイドの量が1500r弱とかなり大量だったので、リバウンドがかなりくるだろうとのこと。1日7r内服していたのをいっぺんにやめると危険なので、まずは半分の3.5rに減量すること。抗リウマチ薬と抗炎症薬はすぐ止めること。蛋白質が足りないので、プロテインを一日10杯飲むこと。また皮膚の状態から見て、アトピーがかなり酷く出るだろうからということで、はじめからアトピー用の消毒薬やら軟膏やらを処方して貰った。
この日は残念ながら握手もして貰えなかったし、「必ず治してあげる」の力強いお言葉も貰えなかった。が、何となく明るい気分で診察室を出た。診察の後は、採血。続いて支払いをし、しばらく待った後、隣の部屋で女性の先生に鍼をして貰った。
鍼灸の織田先生は快活で話の面白い女性で、私は一遍でファンになった。こちらの緊張を上手にほぐし、「(こういう病気になる人は)車でいうと高級外車、治ったら(病気になる)前よりずっとパワーアップしますよ。」などの話をしてくださり、元気づけてくださった。鍼は初めてだったが、こんなに気持ちのいいものだとは思わなかった。毎日でもしたいと思うくらい心地よいものだった。
約一時間の鍼治療を終え、お灸の方法を教えて頂いた。痛い関節にたくさんのお灸痕がゴマをふったようになるくらいすること。入浴の前後1時間はお灸は避けること。あと関節痛によく効くつぼも教えて頂いた。最後にもぐさを頂き、治療費を支払い、退出する。
(※血液検査の結果……CRP;2.2 血沈;27 RF;33)
3月9日 朝自宅に帰り着き、早速漢方薬を煎じた。始めは癖のある甘さがあってちょっと飲みにくいなと感じたが、この味には10日で慣れた。3週間以上たった段階ではおいしいとさえ感じるようになった。
漢方風呂にもこの日から入った。我が家の風呂は給湯式なので10リットル薬缶で湯を沸かし、ガーゼハンカチ2枚を縫い合わせて作った袋に漢方薬を入れ少し煮出してから、浴槽に入れた。一回で浴槽に真っ茶色の渋がついたのにはまいったが、温まる感じはした。しかし、烏の行水が専らだったので、1時間浸かっているのは結構精神修行になった。
鍼は1週間に一度はした方がいいということで、自宅からバスで10分程度で通える鍼灸院を電話帳で探し、予約を入れた。
W リバウンド
3月15日、 ちょうど1週間で薬がなくなるので、松本先生に取り次いで貰った。診察でお忙しいのに悪いと思ったのだが、横須賀から週に1度はとてもじゃないが通えないので、電話相談をお願いした。電話の先生は、直接お話ししたときよりずっと優しい口調で、こちらを気遣ってくださった。電話で血液検査の結果をお聞きし、ステロイドを更に2rに減量する指示を頂いた。最後に「困ったことがあったらいつでも電話しなさいね。どうぞよろしく。」と、何とも明るい気さくな口調で言って下さったのでありがたかった。
3月17日、ステロイドを2rに減量して2日目のこの日の夕方、突然、足首と足首から先のすべて関節に(足の甲と言わず裏と言わず)、未だかつて経験したことのない激痛が走り、歩けなくなってしまった。2階の居間にいたので、なんとか1階の寝室に降りなければならず、手摺りを伝ってやっとのことで寝室まで辿り着く。久しぶりに眠れぬ夜を過ごす。毛布が掛かっているだけで痛くて、歯を食いしばるような有様。ステロイドを完全に断ったわけではない、2rに減量しただけなのに、これがリバウンドというものか。夜中に何度も尿意を催し、トイレに行かなきゃいけないのは酷く辛かった。なんとかトイレまでの5メートルを10分くらいかけて、廊下の壁に背中を預けてズリズリと芋虫のように進んで辿り着いた。
さすがに夫も心配し、翌日は仕事を半日休んでくれ、食事を寝台まで運んでくれたり気を遣ってくれた。誰かの手記の中に、痛いときは灸をするよう先生から指導されるという部分があったのを思い出し、少し元気になった18日夕方、足の甲と足首に滅茶苦茶にお灸した。
お灸の後、実家で世話になることにし、父に迎えに来て貰った。お灸が効を奏したのか、翌19日には痛みが薄れていた。前日の夜までは足の裏さえも強烈に痛くて、歩くどころか立っていることさえ無理だったのが、ゆっくりではあるが交互に足を出して歩いてトイレに行けた。
3月27日、ステロイドを2rに減らしてから12日経った。そろそろ薬が終わりそうなので松本医院に電話して、薬の発送と織田先生の鍼の予約をお願いした。先生からはステロイドを1rに減らすように指示があった。前述のような立てなくなるような激烈な痛みはないが、相変わらず両手首は腫れて痛むし、両肩は動かしにくい、膝は日によって痛い日もそんなに痛まない日もある。手の強ばりは朝と言わず一日中続いている。ペットボトルの栓などは非常に開けづらい。
実家では、赤ん坊の世話を両親(ともに72歳!)がしてくれるのでありがたい。
漢方薬を煎じることだけは自分でやった。朝、起き抜けにやかんに3袋の生薬を入れ、700CCの水を入れ火にかける。初診から3週間経ったこの頃には、二番煎じ、三番煎じどころか、多いときは五番煎じくらいまで煮出し、口に入る水分は殆ど漢方薬というくらいに飲んでいた。お灸も痛い関節を中心にほとんど毎日した。
漢方風呂も少し温めに設定して、なるべく長く入っているようにした。体が大変温まった。
次の大阪行きを4月5日に決め、夫に新幹線の切符を取って貰った(さすがにもう往復夜行バスは嫌だった)。
4月5日、2回目の松本医院である。ステロイドがいよいよゼロになった。松本先生が優しい口調で初めて「必ず治してあげます。」と仰り、優しく握手してくださった。
織田先生の鍼治療を受け、血液検査(採血)を受け、2週間分の薬を処方してもらい帰宅。
(血液検査の結果……CRP;2.4、血沈;44、RF;39)
4月7日、ステロイドを断ってから3日目のこの日、突然手首から先がパンパンに腫れてしまった。ちょうどグローブをはめたようで、指を曲げることもできず、手の甲のえくぼもなくなり、骨の出っ張りにも触ることができなくなってしまった。神経が剥き出しになったような鋭く激しい痛みがある。ティッシュペーパー1枚すらつかむことができず、顔が痒くても掻くことすらできない。体中の毒素が手に集まって来た、そんな感じである。お灸を必死にすえた。
結局この手の腫れと激痛は一週間続いた。翌8日は長男の中学入学式だったが、出席できず、夫に行ってもらった。
4月17日、薬の発送をお願いするために松本医院に電話する。松本先生に取り次いで貰い、手の腫れがひどかったことを伝えると、血液検査の値も上がっており、リバウンドであるとのこと。理論通りである。5月10日に鍼の予約をお願いし、電話を切る。
4月中容態は変わらずである。松本医院のHPのリウマチ患者さんの手記を読むと、どの人の手記にもリバウンドの激しさが書かれ、私のリバウンドもかなりひどいのだろうなと、戦々恐々としていた(大概の方は数ヶ月単位の激痛に悩まれ、ひどい方は床に就きっきりだったという)。
ところが私の場合、健常時のようには歩けないが、自分の足で歩けるし、朝起き抜けから、午前中くらいはかなり痛むが、夕方頃には雑巾も絞れるし、気合を入れれば、8ヶ月の次男も抱き上げ、5分間くらいは抱っこしていられるのである。
過去3月中旬(ステロイド2mgに減量)には足に、4月上旬(ステロイドゼロ)には手に、それぞれ約一週間ずつの激烈な痛みがあったきりで、それ以降派手な痛みは来ない。これで私のリバウンドは終わりなのか?激痛は終わりなら終わりで有り難いが、どうなんだろう。
X 治りつつある事を実感
5月8日、 唐突なようだが、この日の朝、起きるのが楽になったとはっきり自覚できた。それまでは、朝の起床時が一番辛かった。三度のご飯より寝るのが好きという私だが、リウマチになってからは、翌朝起きることを思うと、夜床に入るのが恐ろしかった。それほどに朝の強張りは強く、あちこちの関節の痛みもひどかった。ベッドから起きあがるのが難行苦行で、目が覚めてから布団から出るまでに長いときで30分くらいかかることもあった。それが、この日の朝、すっと起き上がれたのである。
松本先生にお世話になってから2ヶ月。「確かによくなってきている」そう実感できた、初めての瞬間だった。さらにせっせとお灸と漢方風呂入浴に励んだ。
5月10日
三回目の松本医院。4月診察時の血液検査の数値を見ると、確かにリバウンドがきていることを確認。「必ず治してあげる。」との言葉と握手。採血と織田先生の鍼。2週間分の薬を処方してもらい、新幹線で帰浜。
(血液検査の結果……CRP;0.8、血沈33、RF;26)
5月中、前述のように、朝の痛みがかなり軽減されてきた。まだ、両手首、両膝、両肩はそれなりに痛みが残るが、家の中では普通に暮せる状態である。長時間椅子に座っていたり、漢方風呂に一時間浸かっていた後に体を動かすのはぎこちなくちょっと辛いが、こわばって痛くて仕方ないということはない。
また家の近所を歩くのも、ときたまであるが、普通に地面を蹴って歩くことができるようになった。(それまでは膝と足首、足の甲・裏の痛みでロボットのようにしか歩けなかった。)これ以上実家にいても、近いうちに劇的に完治ということはありそうもないので、一先ず自宅に帰ることとした。
5月30日、自宅に帰ってから調子がよかったので、赤ん坊をベビーカーに乗せて家の周りを散歩した。連続して3日間、ゆっくりとほんの10分程度である。それが災いしたのではなく、紫外線を無防備にふんだんに浴びてしまったのが響いたようだ。この日の午後から高熱を発してしまった。久しぶりの発熱である。38.5度〜40.1度の高熱が一週間続いた。しかし熱以外の症状、例えば咳などはなく、また不思議なことに、高熱が出ている間は関節の痛みが消えていた。
6月1日、特に熱で苦しくて仕方ないということはなかったが、松本先生に電話相談をお願いした。「3日ほど散歩したら熱が出た。」と話した途端に罵倒された。冷や汗が出て、熱が5分上がってしまったくらい、私もカッとした。「お前アホと違うか。病気をなめとんのか。リウマチがそんなに簡単に治ると思ったら大間違いや。ステロイドを切るということは、それほど大変なことなんや。もうお前みたいな患者と付き合うのはいやや。」というようなことを、電話口で怒鳴りまくられた。(先生は此方の話を聞かず、怒鳴り始めたのだ。私がよっぽどきつい運動をしたように勘違いしたようだ。)こっちは39度の熱を出して指示を仰いでいるのに、「勘弁して下さいよ」と思った。私はたった10分、家の周りの平らな道を歩いただけなのだ。先生に言われたように、山登りをしたわけではない。なんでこんなに怒鳴り倒されなければいけないのか。普段は温厚を自認する私だが、頭の血管が切れそうになった。しかし、こっちは患者という立場。ましてや治りかけているのを実感しているのに、お医者に人格円満を求めたが故に、完治のチャンスを逃してはいけない。懸命に冷静になり、先生の指示通り、ひたすら寝ていた。そうしたら、1週間で熱はひいた。(熱さまし等の薬は服用せず。リウマチの煎じ薬は家族に作ってもらい飲んだ)
6月14日 4回目の松本医院。先生は怒鳴り散らしたことなど、すっかりお忘れのご様子。「いい手記、書いてや。」と握手して、採血。
織田先生の鍼。いつもながら織田先生の鍼は待ち遠しい。いつも本当に励ましていただいて、鍼も気持ちよく寝てしまうこともしばしば。はるばる神奈川から来る甲斐があるというもの。
(血液検査の結果……CRP;0.3、血沈;22、RF;7。数値はどんどん良くなっている。血沈の反応が遅いのは、松本先生のHPにある通りだ。)
6月中、ふと気がつくと、膝の痛みがかなり軽くなっている。両肩もやや違和感があるものの、上げ下げはほとんど自由にできる。足の甲・裏も殆ど痛まず、ロボット歩きから段々人間らしい歩き方を取り戻しつつあることに気づく。「ありがたや」である。
地元の鍼の先生が梅雨時の心配をしてくれたが、特に雨天時だから辛いということはない。一番しつこいのは手首の痛みだ。腫れもまだある。どうしても使う関節なので仕方ないのだろうが、すっきりと治したいなぁ。
7月19日、5回目の松本医院。最初に織田先生に鍼をしていただく。快適だ。
先生には手首の痛みを訴える。「治してあげる」。握手。最後に「私のためやない。患者さんのために途中経過の手記を書いてや。」とのこと。約束して辞す。薬2週間分。
(血液検査の結果……CRP;0.7、血沈;13、RF;正常値)
Y アトピーについて
リウマチ完治に至るに、避けて通れないのがアトピーだ。
松本医院の待合室で一緒だったリウマチ患者さんは、リウマチの痛みよりアトピーの方が辛かったと仰っていた。全身が赤く腫れ、その時点で煎じ薬もアトピーのものに変わったそうだ。実際腕を見せてもらったが、アトピーの跡がよくわかる。そのくらいひどく出たということだ。
それに比べ、私の場合は「えっ?これがもしかしたらアトピー?」っていうくらいの出方だ。痒いのもつらいが、もっと全身に派手に出てくれたら分かりやすいのにというところだ。
4月中旬頃、両耳の裏側から首にかけて痒くなりかさかさする。しかし、1週間程度で収まる。
5月初め頃、両足の甲が猛烈にかゆくなり、黒っぽくがさがさになる。これは現在も続いている。また、膝には結構たくさんお灸したのだが、その跡が猛烈に痒く、他人がいなければズボンの上からでもガリガリ掻いている。先生に伺うと、これも「立派なアトピー」だそうだ。入浴時は、結構派手に全身痒く、思いっきり掻きまくって清々している。
こうして振り返ると、松本先生の理論通りだということが分かる。痛みが楽になり始めた5月の頃より、私の場合、足だけだがすごく痒くなってきた。
Z 最後に
2002年8月4日、私は今、この記録をまとめている。松本先生にお世話になってからちょうど5ヶ月が過ぎようといている。2月末、もし、松本医院のHPに出会っていなければと思うと怖くなる。漢方薬は、現代西洋医学の薬のように、昨日服用して今日すっきりと症状が収まってということはないが、確かに効いている。完全にではないが、罹患前の状態に体が戻りつつあることを実感している。
一番辛い時は、何をするにも、どんな動作をするにも、いちいち関節の動きを意識して、痛みと強ばりに耐えながらやっていた。もちろんそうしても出来ない動作もたくさんあった。正座、走る、腕をグルグル回す、雑巾掛け、赤ん坊を抱き上げる、イスからスッと立ち上がる、酷いときには、鼻をかむ、歯を磨く、紙をつまみ上げる、書き上げればきりがないほどたくさんのことが出来なかったり、やり辛かったりした。ステロイドを飲んでいたのにだ。
しかし、今はステロイドを飲んでいないのに、それらの動作が、意識することなしに出来るようになってきている。日によって痛みがあったりはするが、確かによくなってきている(この記録のような長文をワープロで打っても、それほど辛くなくなった。2ヶ月前は辛かった)。
今もしつこく残るこの手首の痛みも、きっと近いうちに消えてなくなるだろう。そして、松本先生から完治を宣言される日も来るだろう。今はその日が一日も早くくる事を祈るばかりだ。
今しばらく、松本先生、織田先生、医院の皆様、よろしくお願いします。
最後に、漢方薬がすべて保険適用にならないかなぁと思う(健康第一・身体第一だが、経済問題は避けて通れない問題だ)。
「松本先生に感謝(リウマチ治療記完結編)」志村みさ江 42歳
神奈川県
2003年6月29日
昨年(2002年)の8月初旬に、リウマチの治療記の途中経過を松本先生にお渡ししてから、早10ヶ月以上が過ぎました。私はこの4月に育児休業を終え、職場に復帰し、毎日四苦八苦しながら何とか勤めを続けております。
四苦八苦というのは、仕事にかかわる部分や職場の人間関係にかかわる部分で、「リウマチ」の状態のことでは全くありません。「本当に私は、リウマチという病に侵されていたのだろうか。」と私自身が思ってしまうくらい、現在は全く痛みがありません。
昨年(2002年)の3月には、一時的ではあるものの歩くことが困難で、5メートル離れたトイレに行くのに、壁に背中を預けて尺取虫のようにして10分もかけていっていたのです。その一ヵ月後には、ステロイドがゼロになり、両手がグローブをはめたようにパンパンに腫れてしまい、ちり紙一枚つかむことが出来なかったのです。勿論、激痛のためです。
松本先生に出会う前は、出口のない真っ暗なトンネルの中で、絶望感に打ちひしがれていました。これは決して文学的な大袈裟な修辞ではなく、私の正直な気持ちです。「リウマトレックス」という免疫抑制剤を最大量まで増やし、強い抗炎症薬やステロイドも最大量処方されていました。しかし、痛みは治まるどころか、激しくなる一方。それどころか手指の一部に、軽い変形さえ見られるようになっていました。
今のところ治療としてできるのは、こういう投薬であり、それもすでにかなり強いといわれる薬を処方されていた私は、このまま一生、酷い痛みを背負い続け、身体障害者として認定され、徐々に動かなくなる体を、変形していく関節を、どうしていいか分からず、ひたすら自分のおかれた状況を呪い続けるしかない、そんな暗い気持ちでおりました。
自分に世話をする対象が無ければまだ良かったものの、私には、13歳の長男と生まれたばかりの次男がおりました。私、夫双方の親も高齢で、いつ要介護となるかわかりません。また当時は、育児休業中で仕事からは離れていたものの、数ヵ月後には、職場復帰も控えていました。経済的なことをいえば、私の収入も当てにされていたので、退職という選択は、不可能に近いものがありました。
そんな状況の中、松本先生のHPにふとしたきっかけで巡り合えたのは、私の人生の中でも3本の指に入るくらいの大きな幸運でした。信仰心の薄い私ですが、心はまさに「神に感謝」です。多くの人に先生のHPに巡り合ってほしい、そして、リウマチという病気に苦しみ絶望している人に希望を持って欲しい、今、心の底からそう思います。
私の体は、松本先生の理論どおりに良くなっていきました。HPに掲載されている多くの元患者さん達の手記に記されている通り、痛みは痒みとなり、快癒していきました。
リウマチの快癒に従って出てくるアトピーのことも、詳しく書くべきでしょうが、どうもリウマチの時のように、きちんと記録をとっていないので、多少あやふやですが記憶を辿って述べていきます。
アトピーについて
前回の途中経過編を書いた8月の段階では、アトピーがまだ出ていない状態で、体の一部が時々痒くなり、かさぶたが出来るくらいでした。
ところが、11月の声を聞く頃から、急に酷くなり始めました。
まず始めに出たのは、すねのお灸の跡です。両足とも内側外側ともに痒みがあったので、掻いている内にジュクジュクし始めました。バンドエイドを貼ると、今度はバンドエイドの粘着部分の触れている皮膚が、その絆創膏の形どおりに真っ赤に腫れてしまいました。さらに貼るものを大きくすると、それに伴い、腫れも大きくなる、そんなことをしているうちに、黄色い透明な体液がどんどん滲出してくるようになりました。キズもどんどん大きくなります。そのうち、ガーゼも薬局で手に入る一番大きい10メートル単位で買ってきては、傷を覆うようになりました。
12月になると、皮膚の状態はどんどん酷くなりました。滲出液が止まらず、ガーゼを何重にしても、更にその上に脱脂綿を何重かにして巻いて油紙で覆っても、夜寝ていると、シーツまで体液が滲みてくる、そんな状態でした。勿論、薬風呂にもしっかり入っていましたし、紫雲膏やエルタシンも塗っていましたが、状況は相変わらずでした。
1月に松本先生に診て頂いた時に、薬をリウマチのものからアトピーのものに、変えて頂きました。
12月の終わりからこの頃にかけては。すねの皮膚のみならず、全身が痒くて痒くて、気がつくと全身を掻きまくっている、そんな状態でした。
さて、リウマチの状態はどうなったかと言うと、実は、アトピーに苦しんでいた年末の頃には、すっかり痛みを忘れるほどに快復していました。
年末の大掃除も、久しぶりに思う存分出来ました。勿論、雑巾がけです。換気扇もゴシゴシ擦って洗えました。本当に久しぶりに、主婦としての喜びを感じました。
さてアトピーの方は、体液が出るのが結構止まりませんでした。掻くのを我慢すれば傷も乾くのでしょうが、我慢しきれぬ痒みなのです。そうして掻いてしまい、また体液が出る、そういう事を繰り返していました。(辛いと思う時には、アトピーの患者さんの手記を読んで、自分を励ましました。一番感動した手記は、30年に及ぶステロイド漬けから、七転八倒の苦しみを経て、アトピーを克服された男性のものです。体液滲出が酷くて、寝巻きがまるで水浴びをしてきたかのようにビショビショになっているという記述など、私も足の体液滲出に悩んでいたので、その苦しさは如何ばかりかと感じました。その方に比べたら、自分の症状など大したことないと感じました。また、そういう重症の方も、松本先生は治しておられるので、私も先生を信じて治療していこうと、新たに思うのでした。
現在2003年6月の末ですが、ここに来て、ようやく傷が乾いてきました。薬が効いているのでしょう。
今リウマチに悩んでいる方が、もし私の文章を読んでくださっているなら、声を大にして申します。私は松本先生と出会い、リウマチの辛さから開放して頂きました。長くかかります。リバウンドも辛いし、アトピー症状も辛いです。でも、リウマチの痛みとは「おさらば」出来ました。松本先生がHPに発表されている理論どおりに、です。先生の大声で早口の関西弁に、決して驚いてはいけません。そんな表面的なことで、治療の機会を逃してはいけない、それが私の結論です。
松本先生、本当に有難うございました。幾つ感謝の言葉を述べても言い尽くせぬほど、感謝しています。どうかこれからも、先生ご自身のお体に気をつけられ、多くの患者さんを幸せにしてあげて下さい。
それから、針の織田先生、先生には単なる体の治療だけではなく、本当に精神的に支えて頂きました。先生の治療台で過ごす約1時間は、私にとって至福のときでした。愚痴も数え切れないくらい聞いて頂きました。その度に、勇気と元気を与えて下さいました。
本当に有難うございました。まだ、少しお世話になる事と思います。よろしくお願いします。